日本人がイタリアで博士号(歴史学)を取ろうとするとどうなるのか?(1年目序盤)

筆者は現在イタリアのピサ(斜塔があるところ)にあるScuola Normale Superiore di Pisa という大学院の博士課程に所属している。専門は近世イタリア史であり、16-18世紀のローマおよびナポリで生きていた人々がいかにして同性愛的関係あるいは”逸脱した性行為”を行い、またその行為を正当化する思想や考え方がどのようにして当時の裁判所によって裁かれていたのかについて研究している。
せり 2025.11.30
誰でも

海外、特にイタリアで歴史学の博士課程に所属するという経験は、一般的に日本だとレアで奇妙な人生経験に分類されるかもしれない。なので、筆者の研究自体に興味がない人でも、筆者のヘンな体験それ自体に興味を抱いてくれる人は割といると思うので、日本かどこか遠くにいる誰かにこの記事が思いもかけず役に立つことを願って、イタリアの博士課程体験記を不定期で連載することにする(本当に不定期)。

まず、海外での博士号取得というテーマに関しては紹介しておきたいコンテンツがある。それは『博論日記』と呼ばれるマンガ(原作はフランス語)であり、ティファンヌ・リヴィエールというフランス人作家による自身の博士課程での経験をもとに書かれたのが本作である(この著者はフランス人で、フランスの博士課程に在籍していたので、「外国人」として博士課程に進んだわけではない)。

本作では、博士課程生なら誰もが被る苦難や苦闘を見事にコメディーへと昇華している。

30代になってようやく念願の博士課程に入れた主人公のジャンヌは、ジャンヌが博士論文(文学)で研究対象としてカフカを選択するが、研究自体が全く上手くいかないどころか、日々の事務作業や非常勤の仕事に追われて研究する暇もない日々をおくることになる。家族には博士課程のことを一切理解されず、いつまでそんな論文を書いているんだと言われ、久しぶりに会った友人には愚弄されまくり、挙げ句の果てには恋人に愛想を尽かされてフラれてしまう。。。

とこんな形で『博論日記』は、救いもなく絶望ばかりが深まる主人公の博士課程生活を描いた漫画であるわけだが、発売当時はフランスで大反響を呼び、日本語を含めた多言語で翻訳されることとなった。

そして、同僚(博士課程)から多少軽蔑をされることを覚悟して言えば、筆者のブログはこの『博論日記』のイタリア版である。『エミリー、パリへ行く(Emily in Paris)』という、途中ネタ切れのためか舞台をパリからローマに移したnetflixシリーズがあるが、このブログ記事はいわばエミリーようなある1人の外国人が、慣れない土地での風習や文化さらには人間関係にとことん振り回される話といっても過言ではない。ただし、『エミリー、パリへ行く』のようにフランスの文化を面白おかしく誇張したり、少しスキャンダラスなものとして映し出すことはない(したくもない)。その代わり、ここではよりリアルなイタリアでの生活(博士課程)について書けるかもしれない。

「お金どうしているの問題」

まず、筆者の置かれた状況を日本で話す際に、必ず最初に聞かれることに対して答えたい。それは「お金はどうしてるの?」という質問である。それでこの質問に端的に答えると、筆者は所属している 大学院Normale から給料salario として月に1800ユーロ、すなわち日本円(現在のレート)に換算すると約30万円が毎月支給されている(だが、少なからずの税金をぶんどられる)。これに加えて研究費が支給され、史料調査や学会への出張のための費用を大学側に負担してもらうことができる。そして、学費は無料かつ学食で朝・昼・晩の3食を毎日無料で食べることができるという比較的恵まれた状態で研究生活を送っている。学費が自動的に免除にならず、給付型の奨学金が限られた人にしか支給されない日本とは異なり、イタリアの博士課程は経済的な負担はそこまで重くはないといえる。(もちろん定員の数はかなり限られてるし、そもそも大学院によって、そして国ごとによって待遇は全く異なる)

「イタリアの博士課程(歴史)とはどんな環境なのか?」

まず、筆者の所属しているのは歴史学storiaの博士課程コースであり、メンバーは筆者を含め6人によって構成される。(博士課程の入試については過去の記事で書いた)

同期のメンバーは最年少の25歳から30歳まで年齢差にはかなりばらつきがあるが、日本のように先輩や年上に対して敬語で話しかけたりしないので、日本での生活とは比べ物にならないくらい関係がフラットである。実はイタリア語にも敬語は存在するが、ここでは日本ほど頻繁に敬語を使わない。筆者は40歳くらいのイタリア人の"友達"がいるが、初対面からタメ口で話しかけている。

当たり前のことだが、同期のメンバーはみんなイタリア人である。というか、理系分野は数名外国人が在籍しているが、文学や哲学などを含めた文系分野の博士コースにいる外国人は筆者ただ一人である。

そして、無料の学食を毎食みんなで食べることが多いので、毎日3食みんなで集合時間を決めて食事を取っている。ここで問題となるのが、帰国子女は別として外国語でのラフな会話ほどキツいものはないということである。特にイタリア語は他のヨーロッパに比べ、国家統一が遅かったこともあり、それぞれの地域の固有性が強く、それぞれの地域の方言などが色濃く残っている。つまり、地域固有のシャレやユーモアのスタイルmodo di scherzareが存在し、イタリア語を第三外国語として学んだ筆者にとっては初見殺しな表現に出会うことが多い。

もちろん場所や分野によってこの"ラフな会話"の難易度も変わる。例えば、理系であれば筆者の大学院でも基本的に使用言語は英語であり、外国人がかなりの割合を占めることが多いので、友人同士のラフな会話も使用言語は英語となろう。だが、この場合、会話に加わっている人はほとんど全員外国語を使用しているはずなので、かなり高度なユーモアや皮肉が飛び交うことはあまりない。そして、世界共通語となっている英語の場合、逆に母語話者側が気を遣って発音なり表現なりを調整する状況が生じることが多いともいえよう。会話の場で使用されている言語を母語話者として使用している人が何人いるかによって、会話の質や内容が変わってくる(当たり前だけど)。

筆者の場合、最近平均で6人以上のイタリア人と食事をする機会が一日に3回あるが(朝昼晩)、特に居酒屋やバーといった騒がしい場所での会話となると、もうお手上げである。イタリア語のリスニングレベルC4に相当するといっても過言ではない。(最高レベルはC2でC4など存在しないが、、、C2はIELTSのリスニング8.5〜9.0ぐらいに相当) 

こういった居酒屋での会話となると、筆者のような外国人は、相当コミュ力か誤魔化し能力が高くない限り、もう口数が減るしかない。この前の飲み会では隣に座っていたイタリア人に「私カイトが笑ったの初めてみたわ。あなたも笑うことはあるのね...」と言われてしまった、、、

問題は冗談に使えるイタリア語の単語を知らないということではなく、冗談の内容そのもの、すなわち冗談の成立の仕方が日本とは全く異なることである。別にピエロになって笑いをとることだって可能かもしれないが、単にバカだと思われる可能性が高いので、もう間違いまくってもいいのでイタリア語を口に出し続けるしかない。イタリアの博士課程が始まってから約3週間が経ったが、もう毎日何回イタリア語の動詞の活用や使い方を間違えているかわからない。果たして博士課程期間中にイタリア人を笑い泣きさせることができるほどのイタリア語力を筆者は身につけることができるのか....

(後編に続く)

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