イタリア留学体験記(後半)
「イタリア人らしさ」とは何か?

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せり 2025.07.13
誰でも

タイトルにもあるように、この記事の後半では筆者が経験したイタリア留学の「リアル」を書き連ねていこうと思う。その際、単に筆者の留学経験を最初から真面目に語るのではなく、多くの日本人が偏見を含め抱いているイタリアに対するイメージと、筆者が実際に経験した「リアル」とを照合し、結局「イタリア人らしさ」とは一体何なのかということについて説明したい。

ただし、注意しなければならないのは、「イタリア」という大きい主語を用いてイタリアの文化を語るのは至極困難な点である(というか不可能)。イタリアの歴史が、基本的に都市を単位として叙述されるように、この国は各都市の個性の強さが際立ち、各都市の文化・風土は互いに想像以上に異なっている。例えば、筆者がまさにこの記事を書いている南部のナポリと、北部のヴェネツィアはもはや別の国どうしである。多くのイタリア人も北と南の違いによく言及するように、北と南の間には時折大きな断絶が垣間見える。

そのため、「イタリア人らしさ」なんて存在しないと結論付け、この記事を終わらせてしまいたくなる。だが、それでも瑣末な点を捨象しつつ、イタリアの各都市が共通して持つ「イタリア人らしさ」について語るのは不可能なことではないようにも思える。数年前に『最後はなぜかうまくいくイタリア人』というビジネス書がなぜか大ヒットしたように、「イタリア人的気質」という多少スケールの大きい雑な枠組みで語ってしまった方が、案外ウケのよい記事を書けるかもしれない。

ということで、かなり雑ではあるものの、都市ピサを拠点として約1年間イタリアに滞在した筆者の視点からみた「イタリア人らしさ」を、以下に7選ほどリストアップしたのでそれぞれ解説していきたい。

1. イタリア人は、午後にカプチーノcappuccino を飲まないのは本当か?

答えはYesである。もしあなたがイタリアへ旅行したとして、午後にカフェで一服する際にはカプチーノを注文してはならない。(おそらく周りのイタリア人に半殺しにされる)。注文できないことはないが、店員に鼻で笑われるか、とにかくめちゃくちゃキモイと思われてしまう。あるいは、もしイタリア人の友達と午後に会ったとして、あなたがカプチーノを飲んでいるところを見られたら、そのイタリア人は「Oddio ! Fa schifo !!(マジかよ、おまえキモすぎぃぃぃ!)」と言われるか、心の中でそう思われる可能性が極めて高い。もし夜なんかにあなたがカプチーノを飲んでいるところをイタリア人の友人に見つかったら、心底絶望されてその後縁を切られてしまう。カプチーノは、イタリアでは絶対に朝にしか飲んではいけない。

2. イタリア人は情熱的か?

これも日本に比べればイエスである。例えば、カップルなどが公共の場所、例えば広場やカフェやレストランの中でキスしているのは一般的だし、基本的にかなりオープンである。筆者がピサに住んでいた頃、アルノ川沿いをジョキングしている時に、老夫婦が熱いキスを交わしているのを見たが、これは日本では絶対に見られない光景であろう。だが、情熱的だからといって、彼らが常に恋愛に血道をあげているわけでもないし、日本で時折耳に挟む「イタリア人はナンパ好き」という言説も真ではない。単にイタリア人は日本人よりも愛情表現が豊かでありオープンであるということに尽きる。

また恋愛事情に関しては、イタリアを含め欧米圏では日本のように「告白文化」がないとよく言われる。すなわち、日本のように「好きっす。付き合ってください。」と口には出さず、欧米圏では自然とそのような関係になってからその後で話し合って決めるというのが定石であるというイメージがアジア圏で流布している。加えて、「お試し期間」というフェーズがあり、これは誰かとデートをしている最初の段階は他の複数人ともデートをしてもいいという意味である。日本人の多くがこういったイメージをイタリア含めヨーロッパ諸国に投影しているかもしれない。だが、筆者の管見の限りでは、上記の欧米式の恋愛作法がイタリアで定着しているとは考えられない。好きなら相手に直接はっきりと好きであることを伝えて相手がそれを受け入れるかどうかで、その相手との関係性が決まるのであって、デート期間なるものが存在するとも聞いたことがない。要するに、はっきりと想いを口に出してから関係性が始まるのであって、恋愛事情は至ってシンプルである。

3. イタリア人は真面目に働いているのか?

答えは一瞬迷うけどイエスである。「イタリア人はしっかりと仕事しておらず、すぐにサボる」という言説が存在するが、みんなそれなりに真面目に働いている。ただし、彼らの働きぶりを見ていると何かがおかしい。サボる時はとことんサボり、時折急にエンジンが入って本気を出すといった独自のリズムがある。一番良い例は、イタリアに長期滞在する人たちが滞在許可証を得るために赴く警察庁の働きぶりである。滞在許可証を申請したのち、発行された許可証を取得するには現地の警察庁に行く必要があるのだが、これを取得するのが困難極まりない。許可証を受け取るのにおそらく1人3分ほどで済むはずなのに、4時間並んでも3〜4人しか警察庁に入れないのである。だから、警察庁の前には50〜60人以上の長蛇の列ができて、大勢の人が痺れを切らして警察に不満を漏らすのが日常である。滞在許可証の取得のために、筆者が警察庁に足を運んだ際には、ほぼ一番乗りで並んだが三日間とも入れなかった。そこで警察に抗議したところ「赤ちゃんや病気の人が優先です」と何度も言われ、その後1時間待っても誰も中に入れていないのである。筆者の後方にいた人が、「ふざけんじゃねえ!俺もうこの列に2週間並んでるんだぞ!」と警察に野次を飛ばしたところ、それを聞いた1人の警察官が「うるせえ!!てめえの後ろにいるやつは2年間も許可証を受け取れてないまま待っているんだぞ!!俺らの仕事をリスペクトしやがれ!」と言い返す。こうした絶望的な状況が数日間続き、もう諦めかけていたある日、警官が「いいか、みんな順番に入るんだ!!!」と告げ、その後考えられないスピードで多くの人が警察庁の中に入り、滞在許可証を受け取ることができたのである。基本的に働くリズムはリッラクスしてゆったり、そしてたまに本気を出す。これがイタリア人のlavoro(仕事)に対する姿勢である。

3. イタリア語にはどんな慣用句や悪口があるのか?

イタリア語は、都市や地域ごとに様々な慣用句や悪口がある。また、文字通り訳すと少し下品なフレーズが豊富にあるのもイタリア語の特徴の一つである。例えば、何かにうんざりした時や不満が爆発しそうな時には「rotto 男性(rotta女性) le palleロットレパッレ」!!と叫ぶ。Rottoは「壊れるrompere」という動詞の過去分詞で、le palle は「玉」という名詞である。すなわち、文字通り訳せば、「ああ玉が潰れてしまったよ!!」という意味になるが、あくまで「もううんざりだ!!」という意味しか込められていない。他にもChe culo !は直訳すると「なんてケツだ」となるが、それは運がいいと思った際に使う言葉であり、イタリア人自体もこのフレーズを使う際にはculo(お尻)を実際にイメージしているわけではないらしい。

また、悪口という点で日本語という筆者の母語とイタリア語を比較してみると興味深いことが浮かび上がる。それは他の外国語と比べると日本語には悪口が豊富ではないという点である。というか、「くたばれ」「バカ」「アホ」など直接的な悪口しか思い浮かばず、何かメタファーを用いて相手を罵ったり、からかったりすることができないように感じる。また、中国の友人にも日本語って洒落た悪口少ないですよねと言われたことがあるので、日本語はかなり攻撃性の少ない優しい言語なのかもしれない。

4. イタリア人は話す時にジェスチャーを多用するのは本当か?

これはマジである。みんな話している時は大抵手が動いているし、例え電話中で喋り相手が目の前にいなくても、まるで指揮者のように手をせわしなく動かしている人が多い。そして、もちろん何の意味もなく手を動かしているのではなく、ジェスチャーには何らかの意味が込められている。例えば、顎髭を剃るような仕草をした場合、それはそのジェスチャーを向けられている人が信用に足る人物ではないことを示す。(囚人は髭を剃ってから牢屋に入るため)。他にも、塩をひとつまみして上に向けるようにジェスチャー🤌は、「お前一体何が言いたいんだよ」と、相手の言っていることがナンセンスあるいは理解できない時に使用する。これは実際によく使われるジェスチャーで、案外使ってみると結構便利である。

5. イタリア人はポジティブか?

もちろん人によるが(当たり前)、あまりにも自分の人生に対して前向きであったり、他人の背中を全力で押してくれる人が多い。目の前の物事に対して、後ろ向きになっているイタリア人はあまり見たことがない。また、逐一他人に対して「Tutto bene?(全て順調か)」や「Tutto a posto?(何も問題ないか)」と声をかけてくれる人が多く、もし挨拶をした相手が元気のない返事をしたら全力で心配してくれる人が多い。筆者はどちらかとうとネガティブで根暗な人間であるが、そんな筆者もイタリア滞在中はあまり鬱になることがなく、年柄年中頭を抱えていた研究のことや将来の心配事に苦しめられることがなくなった。まあとりあえず何とかなるかの精神が自然と育まれたことが、筆者のイタリア滞在の大きな収穫の一つであるとも言える。

6. イタリアにはスリが多いのか?

答えはイエス。田舎よりも、特にミラノやローマなど大都市での人混みや地下鉄でのスリに気を付けなければならない。イタリアの泥棒たちはとても優秀braviなので、自分の荷物から数秒目を話した隙に荷物を盗られていることなんて珍しくはない。筆者の知り合いでイタリアでの留学経験のある人たちもスリにあったことがあり、ポケットに入れていたはずの財布を急に抜き取られていたなど、イタリア留学&旅行経験者からスリの被害報告を聞くのは稀ではない。かくいう筆者もイタリアでの電車移動中にスリ被害に遭ったことがある。その悲劇はイースター休暇の帰りにヴェネツィアからピサへ電車で帰っている最中に起きた。至極マジメな博士課程である筆者は、電車の揺れに耐えながら論文を読んでいたが、フェラーラの駅に電車が泊まっていた際に隣の席に置いてあった自分の手提げカバンが消えていたことに気づいた。席の下にめり込んでいるのかと思い自分の席の周りを隈なく探したが、どこにもカバンがないのである。そのカバンの中には財布のみならず、筆者の携帯とパスポートが入っていたため、カバンがどこかに消えたと知って深く絶望したのを覚えている。パニック状態に陥りながら電車の外を見ると、大柄の男が明らかに筆者のカバンを手に抱えながら、駅のホームの階段を駆け下りているのを目撃した。スリにあったと自覚した筆者は電車から高速で降り、その駅の地下へと続く階段を飛び越え2メートル下にいるその泥棒めがけてドロップキックした(片手の論文を抱えながら)。心優しい筆者は泥棒に蹴りを命中させることはせず、泥棒の目の前に着地して泥棒に詰め寄りカバンを返してもらった。この時もしバックを盗まれていたら、博士課程の受験もできなかったかもしれず、自分の運命が180度変わっていたことを思うと、もはや感慨深い…。

7. イタリア人の家族の絆が強すぎる件について

イタリア人とって家casaは特別な場所であり、共に住む家族全員が分かち難い絆で結ばれている。家族の絆が強いのは当たり前のことであると思われるかもしれないが、日本人と比較するとイタリア人の家族愛の強さは異常である。例えば、日本の大学生などは夏休みなど長期休みに実家に帰省する人が大半だと思うが、イタリア人の大学生は例え家が遠くてもスーツケースを引きずりながら頻繁に週末に帰省する。また、親から電話がかかってくる回数は異常であり、一日に最低一回は親と電話をしている人がかなり多い気がする。また大学生でなく、働いている人でも家族とは頻繁に連絡を取り続けている人が決して少なくはないようだ。一方、日本では30歳あたり(アラサー)、あるいは大学卒業後にも実家で親と一緒に住んでいると子供じみていると揶揄されることもある。例えば、「こどおじ」といった言葉は、オトナになっても親と一緒に住んでいる人を指すことがある(なんてセンスのない造語であろうか)。イタリアではむしろ、30際になっても親の近くに住むことは、親からしたらこの上ない幸せである。もしかしたら、日本でも地域によっては家族の紐帯が異様に強い所もあるかもしれないが、イタリアの家族愛が異常ではなく、日本の家族愛が概して脆いのだと結論付けたくなってしまう。

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