ナポリを見たら、死ぬかもしれない
ナポリ史料調査滞在記
連載第②回目
ナポリの光の部分
ナポリの闇にどっぷり浸かる形で初日を迎えたわけだが、さすがにこのままだとナポリに対する印象が「混沌」「治安悪い」「便座の水が逆噴射」という三拍子で固定されてしまう。これではゲーテさんも浮かばれない。そこで、今回はナポリの光の部分にスポットを当てていきたい。
まず、ナポリの街を歩いていて最初に気づくのは、やたらと話しかけてくる地元の人たちである。スーパーで水を買おうとしていたら、後ろのおばあちゃんが「このブランドの水はミネラルが多すぎるから、こっちのほうがいいわよ!」といきなり水選びの指南をしてくれた。レストランに入れば、隣の席のナポリ人グループが「ピッツァはナポリが本場だからな!観光客向けの店じゃなくて、地元の人が行く店を教えてやるよ!」と、まるで旧友のようなテンションで話しかけてくる。こちらがナポリ弁(ナポレターノ)がわからないと察すると、「お前、今俺が何て言ったかわかるか?え?違う違う!こういう意味だ!」と、何度も説明してくれる。
この「やたら絡んでくるが、基本的に親切」というのが、ナポリの人々の大きな魅力だと思う。もちろん、すべての人が優しいわけではないし、スリや詐欺師もいるのだが、それはどこの都市でも同じこと。ナポリは特に「他人と距離が近い」のだ。
そして、ナポリといえばピッツァである。
「ナポリに行ったらとりあえずピッツァを食え」というのは、もはや世界の常識。特に「ダ・ミケーレ」や「ソルビッロ」などの有名店は観光客で長蛇の列ができるが、地元の人たちは「そこよりも、こっちの店のほうがうまい!」と、それぞれの推しピッツェリアを教えてくれる。筆者が訪れたのは、地元の友人に勧められた小さなピッツェリア。店の前には大きな石窯があり、職人が手際よくピッツァを焼き上げていた。
焼きたてのマルゲリータを一口食べると、もう驚きしかない。生地はもっちりしつつも軽く、トマトソースの酸味とモッツァレラの濃厚なコクが完璧に調和している。「ピッツァはどこで食べても同じ」と思っていた過去の自分を全力で殴りたい。これこそがナポリピッツァの真髄である。
食後にバールでエスプレッソを飲んでいると、隣のおじいちゃんが「ナポリのコーヒーは世界一だ!」と誇らしげに語り始めた。どうやら、ナポリではエスプレッソの淹れ方にこだわりがあり、豆の焙煎方法や抽出時間が独特なのだとか。「まあ飲んでみろ!」と言われたので、一口飲んでみると……確かに、濃厚な味わいなのに後味がすっきりしていて、驚くほど美味しい。おじいちゃんが誇らしげに笑うのも納得である。
ナポリは、たしかに混沌としている。治安が悪いエリアもあるし、街はごちゃごちゃしている。だが、そのカオスの中に、人間らしさや温かさがあるのも事実。ナポリの本当の魅力は、その「人間くささ」にあるのかもしれない。
歴史的に見ても、ナポリはまさに「光と闇の混在する都市」だった。中世にはナポリ王国の首都として繁栄し、ルネサンス期には芸術や学問の中心地としても名を馳せた。一方で、スペイン統治時代には厳しい支配を受け、19世紀のイタリア統一時には大きな混乱も経験している。つまり、ナポリのカオスは今に始まったことではなく、何世紀にもわたって培われてきた「伝統」なのだ。
次回は、そんなナポリの歴史的なスポットを巡りながら、街の過去と現在を繋ぐ旅に出てみたいと思う。そして、また新たな「光」と「闇」を発見してしまうことになるのだろう。
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