論文執筆日記 ライブ実況

突然だが、今日から論文を書き上げるまでの行程を、このメルマガでライブ実況していきたい。おそらく、歴史学専攻かつ博士課程に進む人以外にとっては、全く興味の湧かない記事となるだろう。だけど、博士課程の人のリアルな日々を垣間見えることができるという点では、案外レアな記事になるかもしれない。
せり 2025.08.05
誰でも

研究者は論文を出してこそ研究者たり得る。

論文を書いて出版するということは、研究者の存在意義そのものに関わる問題であり、筆者は今年に入って論文を執筆できなければ来年以降とても精神的にキツくなる。博士課程の者にとって辛いのは、もちろん博士論文という浩瀚な書物を生成することであるが、それよりもっとキツいことは博論と並行して査読論文を複数(3本)出版することである。以前このブログ記事でも書いたように、近世イタリア史を専門とする筆者は、査読論文を日本語圏・英語圏・イタリア語圏の学術雑誌にそれぞれ一本ずつ投稿するのを目標とするが、現時点の筆者に海外の雑誌にチャレンジする勇気・レベルはないと判断したため、今年は国内(日本)の雑誌への投稿を目指す。

博士課程に無事入れた人に立ちはだかる最初の大きな壁が、間違いなくこの査読論文の執筆である。プロとアマチュアを分ける試金石が査読論文の出版であり、筆者も「現実」と向き合わなければいけない時が来てしまった。

学術雑誌と一口に言ってもその中には様々なものがあり、投稿の難易度はそれぞれ異なる。すなわち、雑誌にはランクなるものが存在し、難易度の高い全国誌は投稿するのが大変難しく、中堅に位置付けられる学会雑誌のようなものから、難易度のそれほど高くはない紀要論文(学内雑誌)がある。

筆者の2025年目標は、これらすべてのランクの雑誌に投稿することである。プロの研究者でも1年間に3本以上査読論文を投稿することは困難極まりないが、背伸びして調子に乗るのも20代の特権かなと思っているので、とりあえず力の尽きる限り書いてみる。(一応、9月2日に学会発表もある)

これから半年以内に、筆者がチャレンジする雑誌は以下の通りである。

『年報 地域文化研究』(2万2,000字) この雑誌は筆者の所属する東大の地域文化研究専攻という研究室が出版している雑誌である。つまり、これは紀要論文であり、以下の二つに比べて投稿難易度はそれほど高くはない。だが、紀要でもレフェリーである査読者の先生が厳しければ、余裕で掲載不可を貰うので誰でも通るわけではない。締切は9月1日。☆もう締切まで1ヶ月ない☆

『地中海学研究』(32,000字以内) これは地中海学会が発行する学会雑誌である。これは紀要論文よりは明らかに査読が厳しい。締切は10月末。これもそこまで余裕があるわけではない

『西洋史学』(32,000字以内) これは全国誌。締切は特にない。いつ出してもOK。だが、これらの雑誌の中でおそらく査読を突破するのが一番難しい媒体となる。他にも『史學雑誌』という全国誌があるが、とりあえず『西洋史学』に投稿を目指すのが国内での査読論文出版の最終目標である。

筆者には現在手持ちに四つネタがあり、上記の三つの学術雑誌に挑戦するには十分な量である。これらのネタについて以下で少し紹介しようと思う。

まず筆者の研究テーマを一言で言うと「ソドミー」である。ソドミーとは、反自然的な性行為を意味する。読者の方々は反自然的な性行為ってなんぞ?と思うかもしれないが、簡単にいえば生殖を目的としない性行為のことである。だから肛門性交や、獣姦(動物との性行為)がソドミーと言える。ちなみに、常識レベルだが、この名称は旧約聖書の「ソドムとゴモラの町」のエピソードに由来する。

このソドミーの歴史研究は「同性愛」の歴史研究として位置付けられる。ソドミーは同性間の性愛を指す傾向が強いからである。だが、ソドミーは同性愛と同義であると解釈しては時代錯誤になってしまう。同性愛は19世紀半ばに初めてドイツ人の作家が自身のパンフレットの中で使用した用語であり、それ以前に「同性愛」という用語はヨーロッパでは用いられていなかった。だから、「現代的な思考様式」で過去における同性間の性愛を分析してしまっては、歴史学的には誤りとなってしまう。しかしながら、「同性愛」という用語が存在しなかったからといって、19世紀以前の過去に同性愛が存在しなかったと断定はできない。むしろ同性愛的な行為は過去にも存在はしていたものの、現在とは異なる形で認識されていたと考えたい。つまり、我々の思考様式が変化するに従ってヒトの性を認識する仕方も次第に変わったのである。

というわけで、このソドミーという主題を中心として、筆者はイタリア内の文書館の史料を渉猟しまくってきたわけだが、その結果この主題に関連してネタを3, 4本用意できた。これらのネタを上記の論文にぜひ使いたいところである。

ネタ① タイトル: 近世イタリアにおけるソドミーと異端: ナポリ異端審問所の事例に着目して

この論文はイタリア南部の都市ナポリに存在した異端審問所の審問記録の中でも、ソドミーに関わる審問記録の分析を通じて、ソドミーがどのような異端的信仰や諸思想と結びついていたのかを明らかにしようと思っている。異端審問ってなんやねん!興味ないしって思ってしまった人は、ぜひ神アニメ『チ。ー地球の運動についてー』を観てほしい。筆者の研究が嫌いでも、このアニメのことは嫌いにならないでほしい。このアニメのことをざっくり紹介すると、地球が宇宙の中心にあり、周りの惑星が地球を中心として回っているという天動説が支配的であった時代に、それとは反対の地動説すなわち地球は宇宙の中心ではなく地球それ自体も動いているというアブナイ思想を信じ、それを証明しようとした人たちが、異端として裁かれて次々と死んでいく様が描かれるアニメである。少々下手なアニメ紹介になってしまったが、作者の魚豊先生が間違いなく人生を達観した人であり、アラサーである筆者の胸にも刺さりまくる数々の名言が地動説を信仰してしまったキャラの口から発せられる。実はこのアニメ、人間(読者)の勘違いを利用した仕掛けが最後に用意されており、作品全体でコペルニクス的転回が何度か訪れるどんでん返し&ヒューマンドラマ系アニメとなっている。巷では⚪︎滅の刃が流行っているが、『チ。ー地球の運動についてー』の方が100倍面白いことを筆者が保証するので観てみてほしい(サカナクションのOP曲もすごくいい)。このアニメを観れば、15, 16世紀当時の異端審問の仕組みや雰囲気もよく理解でき、しかも筆者の論文を読む準備ができるので一石二鳥である....!!!

筆者の論文の話に戻る。異端審問とはカトリックの信仰に相反する思想や信仰を抱いた人々を裁く制度であるが、筆者の論文はソドミーの罪に関連した思想を抱いた「異端者」の審問記録を分析が中心となる。以下に実際の事例を紹介しよう。

アダムとエヴァの犯した原罪は禁断の知恵の実を食べたことであり、この罪が理由でエデンの園を追放された。本来、旧約聖書にはこのように記されている。だが、これとは異なるタイプの原罪のエピソードを本気で信じていた人々がいた。その人たちによると、「アダムとエヴァが犯した原罪はソドミーであり、それゆえ彼らはエデンの園から神に追い出された。」また、「知恵の実なんてものは存在しなかったのであり、これはエヴァのお尻のメタファーであった」と発言した者が複数人いたことがナポリの異端審問所の審問記録から分かっている。

エデンの園から追放されるアダムとエヴァ  フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会にあるマザッチョの絵

エデンの園から追放されるアダムとエヴァ  フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会にあるマザッチョの絵

また、他にもソドミーを擁護するだけでなく、聖職者同士つまり男性同士の結婚式を挙げた司祭がいたことがナポリの異端審問記録に記されている。16世紀という時代に、聖職者同士が結婚式を挙げるのはカトリック教会にとっては大スキャンダルに等く、アニメ『チ』の主題である地動説の証明よりも過激なエピソードである。事実は小説よりも奇なりであり、現代人の発想からは逸脱した信仰や思想が異端審問の記録には書かれている。

そして、これらの異端審問記録をちまちま文字起こしと翻訳をしてまとめて、『年報 地域文化研究』の雑誌に投稿することが目的である。(ちょっと時間がないかもしれない。ブログ書いてる場合ではない。)

論文作成の時に使用しているworkflowy 段落ごとに書いていく意識を強く持てる

論文作成の時に使用しているworkflowy 段落ごとに書いていく意識を強く持てる

ナポリの異端審問の記録(史料)

ナポリの異端審問の記録(史料)

ネタ② タイトル: 16世紀ローマにおける同性間の性愛: ソドミーの裁判記録と恋文の分析を通じて

このネタの説明はまた今度ちゃんとします…

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