10/16 ピサ奮闘記 ログ
朝9時にピサで最初のゼミに出席する。ゼミといっても博士課程の学生だけでなく学部生もいるらしい。フランチェスコの隣に座る。自己紹介をする際に先生にあんた普通にイタリア語うまいわねと言われるが、これはお世辞である。ある外国語を話したときに、その外国語を母語とする人に「あなた〇〇語上手いね」と言われるのはどこか言い回しが不自然か発音に違和感が若干がるがなんか話せている時に言われるお世辞であると筆者は思っている。
先生の話していることを理解するためには全集中しなければいけない。さすがに二時間継続して傾聴するのはキツイので、後半は集中力が途切れる。大学の先生が話すイタリア語よりも、イタリア人の若者がフランクに話すイタリア語の方が聞き取りにくい。正直、フランチェスコは他のイタリア人よりも早口であるので、話すときは耳の穴をかっぽじって聞かなければならない。
講義内容はヨーロッパによる“新世界の発見”に伴うヨーロッパにおける時間•空間感覚の変化について。ゼミではコロンブスの書いた手稿などを読んでいくらしい。それに加えて課題図書を三つ出される。そのうち二つはフランス語の単著で、残りは英語。(イタリア語はないのかよ)とりあえずスペイン語も早急に勉強する必要があるらしい。現在そのキャパはない。
正直、こっちの講義なんかよりも日本のゼミで11月に行う研究発表と、今月末締め切りの論文をなんとかしなければいけない。こっちの講義は正直どうでもいい。早く史料調査をしなければいけない。
後者は雑誌論文のことであるが、引っ越しの準備やイタリア渡航とかでバタバタしていて全く進んでいない。(言い訳)
正直厳しい査読に耐えうるレベルの論文を書ける準備ができていないのでどうせ書いてもrejectされるよなと思ってしまう。
とはいえ、博士課程に上がったからには論文を投稿し、それが掲載されない限りザコ扱いされて相手にされなくなってしまうのでなんとかしなければいけない。最近、研究書を読むときはいつも論文投稿をすることが脳裏をよぎっているけど、正直ハイレベルの主張をできるような史料&問題の設定をするのは無理ではないかと考えてしまう。
修士課程を経て、格別良い論文を書けるようになったのではなくて、「いかに書けないのか」を学んだ。逆に卒論の時はなんだ論文書くのちょろいし俺歴史学得意だわとか感じてしまっていたけれど、修士課程を終えてから卒論の時の余裕が錯覚でしかなかったことに気づいてしまった。
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